雨が降り始めたのに、帰るに帰れず
この少し前、カメラが濡れては大変だと思い、
側にいた青笹しし踊り関係者に声をかけたのが運のつき・・・・
虎舞が終わると恒例によりまして、餅撒き
とらねこさんは、餅は拾わない主義のようですが、私は、写真も撮るが餅も拾う主義 笑
この頃には、本格的な雨
佐比内鹿踊りの披露
少人数ながら、歌声の大きさと熱意で会場を盛り上げる
トリは、地元青笹しし踊り
踊り嘉兵エを元祖の一人とし、町内の中下、糠前、中沢に伝承されていたしし踊りを
昭和40年にひとつとして青笹獅子踊保存会となる
幕は、糠前と中沢が九曜、中下が熊野山だったが、保存会結成により、現在の笹竜胆となる
「しし」の字は、町内に伝わる解説書原本の写真を見ると「獅子踊」とあるが、
昭和30年の写真には幟に「鹿踊」とある
現在は「しし」とひらがな表記されることが多い
雨は降る降る・・・・一人二人と会場を離れる
どの古文書か定かでないが、かつては「、ささらすり」があり「、たねふくべ」を「つぼけふり」と、
「刀かけ」を「太刀ふり」と云っていたという
ここで云う「ささらすり」は、住田町の念仏剣舞にみられるものを指すと思われ、
元禄の頃、気仙で流行っていたものを佐比内、細越村の若者が習って踊りはじめたと遠野旧事記にあり、
そのような役回りも付属していたのだろう
「踊る」から「見せる」に進化していると「遠野郷しし踊り大図鑑」で紹介している
昭和43年青笹町青年団体協議会が全国青年大会文化部門、
郷土芸能の部にて最優秀賞を受賞した時のメンバーが今も保存会の先頭に、
また、昭和55年の同大会で最優秀賞のない優秀賞となったメンバーが中堅に、
そして、その方々の子供らの世代が今、頑張っている
中には、しし踊りが縁で結ばれ、夫婦一緒に参加している人も
人馬一体、男のロマン 輓馬一代 さばく手綱に男の勝負
時には笑顔も
タオル一枚 義理と人情 秤にかけりゃ 雨に寒さに帰るに帰れず
ちょうどお時間となりました
いつの日にか、他の演目を見られる日を待ち望みながら (笑)