旧上郷村社だった日出神社の由来には三説あり。
その一は、本宮は上有住の秋丸にあり、義経一行が北に落ち延びる時に同道していた日出姫を
その地に残し、後に姫ともに御宮を現在地に移したことによる。
その二は、坂上田村麻呂の時代、住田町に秋丸という豪族がいて、
大きな石の上で戦勝祈願をした。それを伝え聞いた慈覚大師がその大石を探させ、
見つけた石の上に仏像を安置したのが日出大明神。
その三は、日出神社棟札により、寛保年中に遠野南部直栄が眼病平癒のため薬師如来を祀った。
以上の三説。
因みに神社の別当を当時勤めていた常陸家には如意輪菩薩像が伝えられているいようですが、
その家が山伏だったという確証がありません。宝暦以降の修験者に名前無し。
さて、例祭の後半です。笑
佐比内、細越のしし踊りの姿が見えた頃に、平倉神楽さんが準備を始めました。
他の団体同様に11時半までに奉納を済ませるとのこと。
演目は、龍殿(りゅうでん)
なんかいつもと違うなあと思い、昨年ここで演じた写真を確認したところ、演目は同じ。
もしかして赤い面が違うような・・・明るさのせいかもしれませんが。
拝殿正面入り口左側の回廊に、神事の太鼓が置かれていたので、
中で見ようにも入れず、私を含め3名にて独占。
外の社務所前では佐比内さんに続き、細越獅子踊りさんも始まっています。
例年どおりと云えば、そのとおり、しかし、もったいない・・・・
平倉神楽さんの次の出番は、8月の遠野座になってしまうのでしょうか?
神楽の途中、地元細越獅子踊りさんに敬意を表し、社務所前に走って行き・・・
次回は、恒例の柱がかりも見たいものです。笑
また急いで拝殿に戻ると、権現舞
奉納終了予定時間には、まだ時間がありましたが、神事の為に会場内の片付けがあり、
これにて終了。
板澤しし踊りさんが、やっと現れました!
いやあ~随分と久しぶりです!
長い冬眠だったと冷やかしました。笑
こちらも、人数を揃えるのに苦労したのではないでしょうか。
どこも似たり寄ったりで、2年続けて不参加だと、自分一人ぐらい・・・
と云う気持ちになってもしようがありませんね・・・
いつもより短めのお花披露
皆さん、境内での制限付きとあっては仕方なしです。
それでも、私のようなおバカには、ありがたく、皆さんに感謝です!
その後、町内を渡御していた御神輿が戻り、
拝殿内にて平倉神楽さんの打ち鳴らしから始まった神事の音を聞きながら撤収です。