往古より大出村の内、祢宜子供は申すに及ばず、其の続きの者どもをもって元禄年中まで
毎年(旧)6月17日、18日の御神楽を相勤めてきたと申し伝えられてきました。
元禄年中に神楽を勤めてきた人数は左のとおり
とあり、9名の名前が掲載
右のとおりであったところ、元禄年中一度ならず飢饉の節、右人数は死絶。
残った者は老人ばかりになり、御神楽を届けかねるようになったので、附馬牛村宿の宝明院から
大樹院までの三代はこの者に頼み、横田(遠野の町)の修験が引き廻していました。
一昨年から大樹院が辞退したので去年は手前(遠野妙泉寺住職)が竜法院に頼みました。
これは早池峰山妙泉寺文書にある一文です。
四番 ここで子供二人の三番叟
二人三番、道化三番の類です
おどけた面を付けた子の経験浅そうなしぐさが、いい味となり、
小4?の黒面の舞いを引き立たせていました。
先の文章の後半には、湯立神事の事も書かれており、当初は遠野妙泉寺の支配所にて
2石の免地を出して神子が勤めていたところ、同じ元禄年中に亡くなり、
次に横田の神子に頼んでいたのが、大徳院により続けることができなくなり、花巻の出雲という
神職の者に頼んで勤めてました。とあります。
ここまでに出てきた宝明院・大樹院は前回掲載したブログに登場しましたが、
本山派に属す大峰系の修験で、竜法院は羽黒派、大徳院は聖護院門跡(熊野系?)の本山派
当時の遠野妙泉寺は真言宗系と云われているので、宝明院に近い関係だったのでしょう。
修験系から神職系に神事が移っていく過程が見えるような気がします。
五番 八幡舞
胴が父、手平鉦が母、舞う二人は姉妹
今年も息の合った舞です。
その後、古くから交流のあった岳神楽を習い、宝暦8年に復活
昭和24年庭元の火災により神楽道具一切焼失となり、同村小倉神楽の道具を借りて、
例祭では鳥舞だけを奉納する時期が続き、昭和40年代後半から本格的な再興機運となり、
現在に至るということのようです。
しし踊り3団体と神楽2団体が残る附馬牛町、世帯数はおよそ450
高齢者世帯が多い大出・小出・大野平だと50世帯ほど。
地域内だけで芸能を続ける時代は既に終わっています。
六番 鞍馬天狗
宵宮神事と三番叟に続き3演目に登場したこの子、初めて観たのは5年前だったでしょうか?
三番叟に続き、同じ相棒です。
子供かと斜めに見てはいけません。
相当練習を積んでいると思われる舞でした。
良き相棒が出来て、これからが楽しみです。