15日(火)は遠野郷八幡宮の例祭でした。
御承知のとおり、現在地に神社が遷宮したのは寛文元年(1661)で、それ以前は松崎町宮代。
遠野郷八幡宮創建八百年誌に興味深い記述があります。
鎌倉時代に遠野を領地とした阿曽沼氏が最初寄宿した場所は、同じ松崎町駒木の堀合で、
後に同町金ケ沢に護摩堂城を築きます。
その堀合には館八幡様と呼ばれる神社が今でもあり、社殿は大正10年に改築され、
その時の棟札には棟梁として小原喜蔵とあります。
喜蔵は正確には喜三で、棟札に記す際は、喜蔵としていたようです。
その喜蔵の父親は東和町の人で小原樗山。
福泉寺本堂、かっぱ渕の常堅寺山門などを手がけた宮大工。
喜蔵が手掛けた市内の神社で著名なのは、附馬牛町荒川駒形神社、同町新山神社があり、
特にも新山神社本殿の桝組と彫刻は一見の価値ありです。
さて、話を戻して例祭へ
本来の例祭は9月13日が宵宮で、14日が神輿渡御、15日が還御。
近年は市内の一大イベントである遠野まつりに寄り添った渡御・還御になっています。
しかし、遠野まつりが中止となり、例祭そのものはどうなるのだろう?
と思っていたところ、神事は縮小しながらも当然行うということで・・・。
神職、氏子役員が列を組み、拝殿前まで歩き、お祓い。
山鳩の鳴き声が聞こえるほど静かです。
拝殿に入り、神事
私は故あって中には入りませんでした。
外では、この神社の役付き芸能である遠野太神楽さんの奉納が始まります。
おかめの舞は無く、獅子舞のみでした。
それでも、私には、ありがたや、ありがたや!です。笑
同じく、役獅子の駒木鹿子踊りさんもやって来ました!
幟の名前に目が行きます。新里カツ
綾織町新里を姓とし、寛永3年(1791)に初代庄右衛門が遠野の町に出てから三代目の時、
分家となった家の娘がカツ、そのカツの旦那さん清十郎と共に酒屋を営み、
上閉伊酒造や岩手商工、釜石酒造の創立に深く関わります。
例祭日和の良い天気
拝殿内では、神事が続きます。
駒木鹿子踊りさん、拝殿前に移動
近所の人から練習は、していなかったようだと聞いていましたが、流石です!
柱がかりも一匹だけで踊りきり
元祖角助の威風が感じ取れました!
拝殿内の神事が終わり、御神輿ではなく、櫃に神様を移し、拝殿前を三周し、
本殿に神様がお帰りになり、終了。
例年通りであれば、馬場を含めた境内を三周し、それから芸能団体のお通り、
その間、参集した皆さんが其々の場所で、飲めや踊れやとなり、遠野で一番熱い一日
になりますが、この思いは必ずや来年に・・・。