昨日は相方がお世話になっている住田町で夏祭り
相方・・・・・本職が漫才師というわけではないが、傍から見ればそう見えるらしい
と、ボケをかましといて
子供達が、まだ親の言うことを聞く頃は、一緒に来たが、今では、無反応
世田米到着時には、既に祭りが始まっており、保育園児の踊りに黒山の人盛り
続いて、有住(ありす)中学校のよさこいソーラン
そして、世田米中が続く
二校の踊りの間に両校のエールの交換があり、形容しがたいが、とても良い雰囲気
ここで、数十年ぶりに、高校の同級生に会う
テニス部のT木君だ・・・・・地元の中学校の先生として頑張っていた
中学校の踊りが終わると、通りに一台の山車
陸前高田のあの「うごく七夕」だ
(この日、どうしてもこれが見たくて世田米に来たのだ)
山車を曳く綱には、住田町の中学生と陸前高田の人たち
この笑顔が見たくて・・・・
うごく七夕が通りから抜けると下有住の外舘鹿踊り
行山流、1760年頃伝えられ、明治42年に中断し、昭和34年に復活
(例年の祭りであれば、この話題がメインとなるだろうが)
町内のきれいどころが一斉に踊る道中おどり
ここで、ハプニング、踊り開始とともに通りの片側が停電となり、しばし中断
(これもご愛嬌)
いつもより、短めに踊りが終わると
うごく七夕の夜の運行開始
多くの方々のいろいろな支援でこの夏まつりにお披露目
表情で気持ちが伝わる
高田の各町の名前が入った行灯にあかりがつく
高田各地域の祭り半纏がこの山車につながる
例年であれば、町内の何箇所かで菓子・餅まきが行われるのだが、
今年は、この山車の上から撒かれ、住田の心意気を感じる
保管場所に戻った一行は、8月6日、7日に本拠地陸前高田で開催される「うごく七夕」のPRをし、
三本でその場をしめた
気仙川では、恒例となっている五葉山火縄銃鉄砲隊の演武
この後、花火が打ち上げられ、住田町の夏祭りを後にする
となるはずだったが、演武が終わり、静かになった川沿いに太鼓の音
もしやと思い、通りに引き返すと、高田の人たちが山車に集まり、
名残惜しそうに、うごく七夕の囃子を見続けていた
この日を待っていたんだ!・・・・・
世田米の通りに飾られていた「あかり」・・・・名前はポランの広場
宮沢賢治の「ポランの広場」・・・・夏祭りの話
お話、そのものというより、あの「雨にも負けず・・・・」のメッセージを届けたくて・・・・・
と、私は受け取り、感動した夜となる