土曜日、上の娘を迎えに行った帰り、下早瀬橋を過ぎると幟
今年は例祭の様子が見られるかと思い立ち寄る
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神社の廻りには手作り提灯が飾られ、建物には紅白幕
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入口が開けられており、中にはお供え物と御神輿
が、人は、いない
翌日は生憎の雨
昼過ぎ、もう一度、通るが神社には誰もいない
そばにある消防コミセンには、大勢の人の気配があり、神事等は終わった様子
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その夕方、再度、行くが人の気配なし
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子供達の手作り提灯だけが雰囲気を醸し出す
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中には、こんなものも・・・・大槌に縁ある子供がこの地区にはいるのだろう
さて、
この金毘羅神社、以前にも一度取り上げているが、もう少し踏み込んで・・・・
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建物に掲げられている額には、三神社の名前
この金毘羅神社は、裏町鎮座とある
「遠野町古蹟残映」には、遠野町第13地割1番大工丁の北にあり。金刀比羅大権現を祀る。
御神体は高さ一尺位の木造の小堂にて、もと下の屋敷なる山奈某の内神なりしを、
山奈家絶えたる後その遠縁の者これを祀ると伝ふるのみ。其他不明なり。
とある。
私が幼少のみぎり?、大工町の祭りといえば、この金毘羅さんの宵宮で、
多くの人で賑わっていたが、それも、いつの頃にか行われなくなった。
町の人にこの時の金毘羅さんは、どこにあったのかと訪ね歩くと多くの人は、早瀬だと答える。
今は昔である
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神社に掲げられている昭和46年の写真
私の記憶にあるのも、この風景で、この頃には既に現在地に移っていたことがわかる。
後の昭和59年に現在の建物となる
現在の建物は北向きとなっており、なぜ、この向きに建てたのかは不明
(個人的には、仏壇を北向きにしたのと同じだと思っている)
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昭和60年代、元々一間道路だった通りが拡幅され、現在の町並みとなった大工町
その仲町と駅前新穀町通りの間にある道路が、昭和通り
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名前の通り、昭和の初め頃、桑畑があった処に通した道路
現在の町中にある東西に走る道路で明治維新後にできたものは
駅裏材木町と新穀町とこの道路だけとのこと
そこで、
古くから大工町で建設業を営む方から、お聞きしたところによると
あの金毘羅神社は、写真の突き当たりにあった由
この昭和通りの工事によって、現在地に移転したとのこと
移転直前頃までは、赤澤某氏が管理していたもののようだが、
その方が山奈氏の遠縁に当たるのか、
戦中戦後の混乱期に所有者が変わったものかはわからないが、
大工町周辺の方々に愛された金毘羅さんが今では早瀬町の祭りとなって続いている
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主として、航海安全の神様である金毘羅さん、
遠野の各地に金毘羅大権現の石碑が建つが、
お伊勢参りの際、四国まで足を伸ばす習慣があったようで、
その旅行に行く為に各地に講が作られていたようだ
さて、さて、明日は、海の民の神様でもある大出早池峯神社の宵宮
午後6時30分〜神事及び神楽奉納
終わりは、去年は10時半過ぎ
翌18日(水)午前10時から例祭
連休明けの平日ということもあり、例年より参拝者は少ないと思いますが、
逆に云えば、じっくり見学できるチャンスかと。
ただ、天気予報では、明日は午後から雨、水曜日は曇り後晴れとのこと
宵宮にお越しの方は、蚊と湿気対策が必要かと思われます