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日詰かじ町さんさ

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馬力大会を後にし、一路、紫波町へ

 

ショッピングセンター

 

桜舞太鼓が出演すると聞いていたので・・・・

 

お店の催事関係のイベントと思っていたら、さにあらず

 

NPO紫波さぷりさんがその仲間たち「てんとうむし」と共に

桜舞太鼓を応援するためのチャリティーコンサートを企画したものだった

 

最初にこのグループによるハンドベル

イカツイ桜舞太鼓のメンバーが、心が洗われる思いがしたと云う演奏

 

続いて、地元紫波町の「さくら吹奏楽団」

 

そして、 

 

さんさ

 

紫波町日詰のかじ町さんさ

 

親子さんさとの前触れだったので、それなりなのかなあと思いきや

 

きちんとした伝統さんさでした

 

思わぬ処で、郷土芸能に接することができ、大感激

 

遠野市宮守町下郷さんさに似たリズムを堪能し、前編を終える

 

後編は

 

こちらからの予定 笑

 

 

 


HY−CHORD in NACS

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さんさが終わると、突然会場設営に励む若者二人&ジャーマネ?兼 ボディーガード?

司会の方の紹介を何気なく聞いていると、吉本の方々かな?と一瞬・・・・

 

 

ある時はカメラマン、そしてある時は湯川さんです!の相棒

の、この方と初めてお会いしたのは、昨年の8.11三陸海の盆大槌会場でのこと

(本人は忘れているだろうけど・・・・笑)

 

ミュージシャンだとも風の便りでは聞いていたが、その実態は?

 

演奏に入る前の二人の会話は、やはり、吉本?

ユージくんで〜す! そして、私が、ハルで〜す!

二人合わせて 「HY−CHORD」

 

でも、曲が始まると、やはり、ミュージシャン!

 

ギブソンが響きます

 

桜舞太鼓を歌った「桜舞う・・・・」は、会場を魅了しました!

 

あっ、そう、そう

 

馬力大会でお見かけしたこの方

HALさんかと思ったら、別人とのこと

でも、似てるんだよな〜(私、かなり、しつこい! 笑)

桜舞太鼓 紫波に舞う

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「紫波さぷり&てんとうむし」さんには、本当に感謝

 

手作りパンフ・ポスター・入場券の販売から参加者の手配

そして、運営

 

東奔西走しながら?頑張れるのも招聘してくれる方々あってこそ

 

プロの創作太鼓集団と異なり、釜石市唐丹町本郷に産声を上げた鼓舞櫻会

 

今は彼の地を代表しての出演が多いが、

 

いつの日にか、そんな前説無しで、呼ばれる太鼓になるものと確信している

 

が、もう少し、ご支援が必要な状況に変わりなく

 

機会があれば、呼んで頂ければと思うところです

 

女性ファンが多い団体ではありますが、不肖、無粋な笛吹のお願いとなります 笑

 

桜つながりでご縁のできた紫波町の皆さん ありがとう!

でも、なぜか私は遠野人 笑

いわてDC終了

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DC(デスティネーションキャンペーン)

JRと自治体及び観光業者が一緒になってその年選ばれた地域の観光キャンペーンを展開すること

ということで、今年は岩手県だったが、本日30日をもって終了

遠野では、この企画に合わせ、特定の休日、

午前と午後それぞれ1回、花巻方面からの列車の到着時に

地元の郷土芸能でのお出迎えをしてきたが、それも今日が最後

 

偶然、その場面に出くわす

 

観光協会&商工会さんが頑張ってきました

 

この日は、日出神社でお会いした上郷町の佐比内しし踊り

 

駒木しし踊りから譲られたという違い鎌が目印のひとつ

 

奉納神社のひとつ六角牛山

 

同様に八幡宮

 

30℃あるかと思えるような気温の中、ししの白いかんながらが涼しい印象を与える

 

笑顔でのお出迎えは、うれいしいもの

 

美人揃いの笛吹きさんもここの特徴かな・・・

 

この日運行の「遠野物語巡り号」の運転手さんは同級生

達曾部出身で野球部だった彼も、今ではじっちゃん!

 

それは、さておき、

 

踊り手の方々の

一生懸命の姿に、またまた感動

 

踊り終わった頭の低さにも感動

 

指導している方々が何に注意して教えているのか、よくわかる光景です

 

おまけ  かっぱと戯れるふくべ振り

 

今日の撮影は、遠野おぢさんから譲られたこちら

 

写りは変わったでしょうか?!・・・・ナイナイ

ROAD to TATUMARU ?1

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日曜日、土淵町の五日市から和野周辺に到るバイパス、通称「かっぱロード」の一部

五日市〜柏崎間の完成間近ということで、関係官庁及び町民によるイベントが開催される

順不同ではあるが、餅撒きから

 

司会は二代目かっぱおぢさん

 

遠野市外へ抜ける主要道のうち、最後の難所 立丸峠を越えて

陸中宮古市から山口太鼓がお祝いに駆けつける

 

県内に創作太鼓がほとんどない40年前、

会長である佐々木清氏が始め、今では40名の会員がいる岩手県を代表する太鼓集団

 

山口太鼓に指導を仰ぎ、生まれたのが遠野北小学校の薬研太鼓

北小学校の子供たちに、ぜひ、見て欲しかったのだが、

現在赴任されている先生方は知らないでしょうね。

 

3.11ではメンバーは無事だったようだが、ご多分に漏れず、親戚・知人を亡くした方は多い

 

ここにも震災エピソードがひとつ

〜三王太鼓〜

壊滅的な被害を受けた田老町の方が30年前に始めた太鼓だが、

ここ10年ほどは休止状態で、震災後、泥の中から発見されたもの

その方は奥様も家も流され、その奥様の好きだったこの太鼓を山口太鼓へ寄贈

 

意志を引き継いだ者たちによって打ち続けられる

 

今年盛岡で開催された六魂祭にも参加し、今後、かなりの日程で全国から声をかけて頂いているようだ

 

17年前、某職能団体の野球大会が宮古会場だった時、

その懇親会で見たこの太鼓、その時の迫力と感動は今でも覚えている

 

佐々木会長がひとつの太鼓を借りて始めた山口太鼓

 

発足当初の苦労を忘れない姿勢に感動

ROAD to TATUMARU ?2

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土淵町似田貝から本宿までの道は、両側に住宅などがあり、

大型車と行き交う際は、ところどころで譲り合いながら走ることが常である。

車のことだけ考えれば譲り合いで良いということにもなるが、

歩道のない所は通学路としては・・・

 

景観問題以外では地区住民の方々にとっても、望んでいたバイパス

工事中の箇所は今のところ、ばっちゃんのお散歩コース 笑

 

イベントに戻って、

 

関係者の祝辞やらが済むと、かっぱ淵のある足洗川から清めの水のリレー

 

記念 モニュメントであるかっぱさんのお皿へ

 

落ち着いたところで

 

似田貝神楽

 

明治33年頃、同じ土淵町の飯豊神楽から伝授される

似田貝には、六日町にある神明神社の元宮があったことから、その神紋を幕に使用

 

土淵しし踊り・・・・・バブさん&従兄弟が頑張ってます!

 

土淵には江戸時代末期から大杉、足洗川、野崎・和野、山口・栃内の四集落にしし踊りがあったが、

指導者が次々と亡くなり、柏崎しし踊りだけが伝えられ、本来、駒木しし踊りの系統だったものが、

いつの頃にか附馬牛町張山しし踊りから師匠を招き、現在はその系統となる。

 

毎年、常堅寺で踊りを競ったという四団体も今はひとつ

 

静かに命脈を保つ

 

そして、

 

野崎神楽

 

遠野郷八幡神社へ奉納していた山伏神楽の系統として明治中期に成立

附馬牛町和野の山伏長学坊とも、地元山伏正福院が伝えたとも云われる

 

戸数の少ない集落ながら、頑張っている

 

郷土芸能の合間、ゆるキャラの登場

 

遠野のかりんちゃん、宮古市のサーモンくんとみやこちゃん

そして、岩手県のそばっちとおもっち

子供達は知っているのんですね!

かっぱ工事隊の皆さんが出すクイズで盛り上がるお子ちゃま

 

これらのアトラクションが終わると、お待ちかねの団体登場

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

ROAD to TATUMARU ?3

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土淵バイパス一部開通記念イベントも最終章

 

午後二時、遠野の郷土芸能の華、山口さんさ

 

遠野ぶれんどの二名のメンバーもここから参加

 

やはり、華やか!

 

遠野まつりでは、カメラマンが処狭しと張り付くチョー人気の団体

 

 

つわものはこのとおり

 

トリは飯豊神楽

 

遠野郷八幡神社の例大祭に集まって神楽組を作っていた山伏神楽に起因

 

昨年、太鼓の方が亡くなられ、それまで笛だった方が太鼓に、そして、新たな笛吹さん

 

飯豊集落の中年以下には、踊れない者はいないと云われる神楽

 

二人でも「三番叟」と案内した司会者の言葉が耳に残る 笑

 

このイベントにて、見かけた5D・・・・その後につく名前はわからず

 

見かけたといえば、新種の・・・・

 

DEEPな土淵に浸った一日でした

気仙沼 そして、陸前高田

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所用にて、県境を越える

古代、陸奥国に気仙郡を置いたのを始まりとした気仙。

江戸時代は伊達藩の領地となり、明治に本吉、気仙沼、唐桑が宮城県に、

陸前高田、大船渡、住田、そして、釜石の一部が岩手県に分割される。

 

そのうちの気仙沼へ

 

3.11では、何度もTVで見た辺り 港町の中心エリアだと思う

周辺には、木造の建物無し

 

港の南側方面に行くと、解体中の建物と鉄筋コンクリートの基礎だけが、あちらこちらに

 

とは云え、港に停泊する数十隻の漁船の数にびっくり

岩手では、これだけの数が揃っている港を、まだ目にしていない

 

1932年建築、木造三階建ての酒造店「気仙沼男山本店」の事務所

国の登録有形文化財だった建物だが、1,2階が崩れ、3階がそのまま地上に建つ

 

気仙沼に来たのだから、市内で昼食をということで

 

こちらへ

 

おそらく、夜には飲み屋街として、地元の方も来るのでしょう

 

この一角にある店で

宇崎竜童さんや渡辺謙さんの写真が飾ってあった

この店には、前にも遠野から来た方がいたようで、一番目の客にはなれず

 

そして、見ておきたかった復興商店街

TVで仮設店舗を出すまでの様子を見ていたので、立ち寄る

しかしながら、この棟の北側にある二棟の店舗にはカメラは向けられず

さらに、

ここの東側メイン通りの反対側には、普通にビルが建ち並び営業しているが

当時どうなっていたのかは、わからない

 

帰り、気仙沼の北側、鹿折地区を通ると

何もなくなった地域に大きな物体が見えてくる

海から結構離れた道路わきに今も残る巨大な舟

釜石市東前のあれを思い出す

 

そして、陸前高田

 

瓦礫の分別作業の向こう側に見える一本松

 

何度も通過しながら、一度も、傍まで行けなかったが、今回は、意を決して

 

平地には何の変化もないが、竹駒周辺の仮設商店が建ち並ぶ地域にまたひとつ、商店街

 

どちらの地域でも、被災地見学ツアーと思われる観光バスを目にしたが、

どんな形であれ、その場所でお金を使ってくれればと思った次第

 

この帰り、我が家の相方よりメール

 

同級生逝去の知らせ

 

高校まで同じだったが、おそらく一度も同じクラスになることはなかったと思う

 

去年までは、彼の下の娘さんが我が家の下の娘と同じ部活ということで

嫁さん同士が一緒になることが多かったが、親父たちは・・・・

同級会の案内の一部は彼が配達したはずだが、顔を出すことは適わず仕舞

いろいろな話を聞くと、いずれはこうなると察していた節があるが、

まだまだ、行くには早すぎる

 

合掌

 

 

 

 


2012 程洞稲荷例祭

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快晴の日曜、約束にて午前中届けるべきものを届け、

予定していた処へは帰宅していては間に合わないと判断し、行き先変更

車で行った先は、

鍋倉から五百羅漢へ行く途中の程洞稲荷

道路脇の案内板のあるニの鳥居から山道を歩くこと10分

 

境内に到着

今年で四回目だが、年々息が上がる

 

今年も焚き火でアブ除けをしながら六日町の役員の方々が出迎え

 

八幡神楽の法螺貝の音で神事始まりを知らせる

静かな山の中では、この音がよく響く

 

遠野郷八幡宮宮司様による神事

 

太鼓の打ち鳴らしから始まり玉串奉典、神楽打ち鳴らしと神事

 

神事終了後、一息つくと自治会館にて直会

 

年々参加者が少なくなっているとお聞きするが、こうして、郷土芸能を呼んで例祭を行う

神楽は岩戸開き

 

八幡神楽は、明治以前、遠野郷八幡宮例大祭に遠野一円の山伏が集まり、

上組町蒼前神社(現駒形神社)別当竜法院が中心となり、

一座を組んで行われていた神楽が基になっている。

 

山の神

昭和の戦時中、一時中断し、踊り手不足から演目が減るが、

八幡地域の方々の参加により、演目数を増やす努力を続ける

 

権現舞

 

1月15日の小正月を初舞とし、5月5日の子供流鏑馬、

9月14日の八幡宮例大祭宵宮、翌15日の例大祭にて演じられる

 

この日も参加された皆さんの厄除けをし、無事終了

 

境内にて

 

程洞稲荷は、かつては女性の参拝者が多くあったという

 

山の神は、名前の通りの山仕事の方々の神様であるが、

田の神にもなることから農業の神様でもある。

 

遠野物語拾遺には、妊婦は山の神が現れないうちは子供は生まれないと云われているので、

馬を曳いて山の神を迎えに行くという風習が載せられており、

程洞稲荷さんに女性が参拝していた理由の一端を知ることができる。

初 ホタル

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ここ数日、駅前会議室に集まる者ども、風体に似合わずもっぱら蛍の話

 

今年は、あちらこちらで目撃されているらしい

 

と、云うことで夕食後、ちょいとばかりドライブ

 

とおのおぢさんの案内にて某所へ

 

ネットの事前調査ではバルブ撮影ということだったので、真似っこ

 

数少ないレンズを取っかえひっかえ

 

おおよそ1時間30分

 

ホタルと戯れるおぢさん達でした! 笑

 

なお、この様子では、流れの緩やかな川の周辺で、岸に草が生えていれば

高確率でお目にかかれそうな気配

 

蓬莱島

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トンネルを抜けた隣り町に書類を提出して二週間、役所からは音沙汰無し

何処も、予定通りに事が運ばず

そんな合間に笛吹峠越え

 

紀州造林の敷地には仮設の学校が建ち、

道路沿いには同様に店が建ち並んできた様子を見ながら日ノ神橋を渡る

震災にて何軒かの住宅が残る道路沿いにさしかかると

いつも目がいく住宅がある

2010年11月にマイホームを手に入れ、たった5ヶ月で震災

床上1.8mまで浸水した30代のご夫婦の家

ご主人が休みの日に泥だしをしながら自ら手直しをしていたが

どうやら、住みはじめている様子

 

この日は、大槌まで足を伸ばす

 

初めて見に行った蓬莱島

ひょこりひょうたん島のモデルと云われる小さな島だが、震災後大槌高校の吹奏楽部が

奏でるひょっこりひょうたん島のテーマソングが蘇る

 

魚市場の近くでは、瓦礫の撤去作業が今なお続き、

搬出を待つ瓦礫の一時仮置き場があちらこちらにある

ちょうど、この日は11日、警察の方々の身元不明者の捜索が行われていた

 

そばには、福島原発のある町を故郷とし、自宅が遠野にある先生が校長を務める安渡小学校がある

また、高校で柔道部だった同級生は赤浜出身だったことなどを思い出す

 

帰り道、

大槌北小校庭に建つ仮設商店街とショッピングセンターマスト、

さらには鵜住居の釜石北高跡地に建つ仮設商店街を廻り、戻る

どこも、こんなに再開したのかと思うほど多くの店が並んでいたが、

次はやはり、住宅と仕事

いずれにしても、安全な土地が確保できないうちは前には進めないだろうと感じた次第

「がんばっぺし東北!」

地元遠野は、相変わらず

来週17日は大出早池峰神社例大祭宵宮、連休明けの平日ということで

人が少ないと予想されるが、せめて、晴れてくれればと願う

宮守町 おでのさん

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13日の金曜日、手帳を見ると「宮守おでのさん」と記載

市の観光協会のHPで確認しようとすると、いつのまにか様変わりしており、

イベントカレンダーに、あったはずの神社の例祭日がない

昨年の写真とインターネットでヒットした日時を参考に現地へ

 

やはり、この日でした!

 

夕暮れには時間が早く、まだ手作り灯篭には灯りがない

 

去年同様に願いごとを兼ねてお参り

 

通りの広場は子供達を中心に大勢の人で賑わう

様々な出し物が繰り広げられるようだが、帰宅時間を考慮し、退散

 

おでのさんの滞在時間が少ない理由は、こちらへ寄り道する都合

鱒沢の桜並木のきれいな地域

夕暮れ間近となるが、ホタルの灯りは見えず

 

しばらく前に行った時には、ホタルが生息している旨の案内板があったように記憶していたが、

記憶違いか・・・・

 

闇稼業のこの方が、また、新たな生息地情報を入手するのを待つか・・・・笑

金毘羅神社に幟

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土曜日、上の娘を迎えに行った帰り、下早瀬橋を過ぎると幟

今年は例祭の様子が見られるかと思い立ち寄る

 

神社の廻りには手作り提灯が飾られ、建物には紅白幕

 

入口が開けられており、中にはお供え物と御神輿

 

が、人は、いない

 

翌日は生憎の雨

昼過ぎ、もう一度、通るが神社には誰もいない

そばにある消防コミセンには、大勢の人の気配があり、神事等は終わった様子

 

その夕方、再度、行くが人の気配なし

 

子供達の手作り提灯だけが雰囲気を醸し出す

 

中には、こんなものも・・・・大槌に縁ある子供がこの地区にはいるのだろう

 

さて、

この金毘羅神社、以前にも一度取り上げているが、もう少し踏み込んで・・・・

 

建物に掲げられている額には、三神社の名前

この金毘羅神社は、裏町鎮座とある

 

「遠野町古蹟残映」には、遠野町第13地割1番大工丁の北にあり。金刀比羅大権現を祀る。

御神体は高さ一尺位の木造の小堂にて、もと下の屋敷なる山奈某の内神なりしを、

山奈家絶えたる後その遠縁の者これを祀ると伝ふるのみ。其他不明なり。

とある。

 

私が幼少のみぎり?、大工町の祭りといえば、この金毘羅さんの宵宮で、

多くの人で賑わっていたが、それも、いつの頃にか行われなくなった。

 

町の人にこの時の金毘羅さんは、どこにあったのかと訪ね歩くと多くの人は、早瀬だと答える。

今は昔である

 

神社に掲げられている昭和46年の写真

 

私の記憶にあるのも、この風景で、この頃には既に現在地に移っていたことがわかる。

後の昭和59年に現在の建物となる

現在の建物は北向きとなっており、なぜ、この向きに建てたのかは不明

(個人的には、仏壇を北向きにしたのと同じだと思っている)

 

昭和60年代、元々一間道路だった通りが拡幅され、現在の町並みとなった大工町

 

その仲町と駅前新穀町通りの間にある道路が、昭和通り

名前の通り、昭和の初め頃、桑畑があった処に通した道路

現在の町中にある東西に走る道路で明治維新後にできたものは

駅裏材木町と新穀町とこの道路だけとのこと

 

そこで、

古くから大工町で建設業を営む方から、お聞きしたところによると

あの金毘羅神社は、写真の突き当たりにあった由

この昭和通りの工事によって、現在地に移転したとのこと

移転直前頃までは、赤澤某氏が管理していたもののようだが、

その方が山奈氏の遠縁に当たるのか、

戦中戦後の混乱期に所有者が変わったものかはわからないが、

大工町周辺の方々に愛された金毘羅さんが今では早瀬町の祭りとなって続いている

 

主として、航海安全の神様である金毘羅さん、

遠野の各地に金毘羅大権現の石碑が建つが、

お伊勢参りの際、四国まで足を伸ばす習慣があったようで、

その旅行に行く為に各地に講が作られていたようだ

 

さて、さて、明日は、海の民の神様でもある大出早池峯神社の宵宮

午後6時30分〜神事及び神楽奉納 

終わりは、去年は10時半過ぎ

翌18日(水)午前10時から例祭

連休明けの平日ということもあり、例年より参拝者は少ないと思いますが、

逆に云えば、じっくり見学できるチャンスかと。

ただ、天気予報では、明日は午後から雨、水曜日は曇り後晴れとのこと

宵宮にお越しの方は、蚊と湿気対策が必要かと思われます

 

2012 遠野早池峯神社宵宮 前編

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7月17日 今年もお邪魔しました

 

 

なぜか、最初の一枚はいつも、ここから

 定刻、本殿にて神事

 

7月、遠野の夜の風物詩ともいえる夜神楽の始まり

 

大出早池峯神楽の鶏舞から

 

いい雰囲気で始まったのだが、ここで事件勃発

観客の一部から、ライトが眩しいとクレーム

 

東京の某TVが旅番組?の撮影で、夜神楽のワンシーンを撮りにきていたのだが、そのライトが原因

神楽が始まる直前に機材をセットし、撮影開始となったわけだが、

観客にすれば、事前の説明なしに客席に向けてライトがつけられれば、何だ?と思うだろう

観るべき神楽がライトで見えなかったという訳だ

 

クレームをつけた人にも問題がない訳ではなく、撮影関係者に直接直訴すればよいものを

大勢の観客がいる前での大声・・・・これには幻滅

この日参加された某神楽の熱烈なファン?だったようだが、

どちらにしても「郷に入っては郷に従え」である

ここは、競演会の会場ではないのである!

同じ思いを抱いた人たちの気持ちが落ち着きはじめた頃、

 

 

翁舞

 

 

やっと、本来の夜神楽の世界・・・・・時間がゆっくりと流れる

 

三番叟

 

この子が大人になった時の舞が、今から楽しみ

 

家族全員参加で頑張っている

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012 遠野早池峯神社宵宮 後編

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地元、大出早池峯神楽が三番踊る頃

 

境内はすっかり暗くなり、地元の方々の岩魚焼きや蕎麦の注文がピークとなり

もちろん、お酒も入っていることもあり、出店から聞こえる声と神楽の音が妙にひとつになる

 

舞台では、市内にある同じ早池峰系統の神楽の演目となり、

 

平倉神楽

明治34年宮守町塚沢神楽を習得し、後、東和町石鳩岡神楽より指導を受け演目を増やしている

盛岡南部の丸に向鶴の幕を使用

 

松迎舞

 

そして、

 

鱒沢神楽

江戸時代後期から大出早池峯神楽の系統として成立

上鱒沢の白山神社(遠野七観音のひとつ鞍迫観音)を本拠とする

 

鶏舞

 

大出早池峯神楽・・・・八幡舞

 

平倉神楽・・・・龍殿の舞

 

 

舞が次々披露され、やんやの歓声が済むと

 

厳かに 大出早池峯神楽の式六番 岩戸開き

 

最後に 

 

権現舞

やはり「ここはどこ〜♪」を聞かないと帰れない

 

夜10時過ぎ、耳に残る権現舞の歌を土産に帰途につく 

 

 

 


2012 遠野早池峯神社例大祭 前編

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はるか昔の大同元年、始閣藤蔵が早池峯山大権現を祀って以来、

連綿と続けられる祀りに今年も身をおく

 

連休明けの平日開催となり、出足が気になるが、

大事なのは、千年以上も続けられていることを、今年も行うということ

 

社務所から神事に向う一行

 

行列に参加する上柳しし踊りの到着

 

本殿前で礼を尽くす張山しし踊り

 

本殿での神事終了後、神輿渡御に奉仕する方々のお祓い

 

巡行の始まり

 

杉の大木が並ぶ参道・境内社である駒形神社での奉納舞

 

一行が向った先は、集落を流れる猿ヶ石川

 

川の水に浸けたヨモギの葉にて神輿を清める

 

神社へ戻った一行は、三度、本殿を廻る

 

そして、最後の奉納舞へとつづく

 

 

 

 

 

2012 遠野早池峯神社例大祭 後編

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例大祭最後の舞

 

大出早池峯神楽から・・・・衣装の華やかな色合いが素敵

 

国際色豊な神楽です・・・・日本人より刀の扱いが上手

 

そして、ミスター大出早池峯神楽の登場

 

ここはどこ〜♪

 

早池峰の〜♪

 

一度でも、この場面を見た方は忘れない言葉

 

市内の他の例祭では観られない場面

 

神楽の舞が終わると、しし踊り

 

今年は残念ながら、東禅寺しし踊りは関係者にご不幸がありお休み

 

そして、最後のイベント・・・・餅撒き

 

2時間半ほどの祭りであるが、紹介している内容以上に濃い祭り

 

カヤ葺き屋根が、だいぶ傷んできており、葺き替えが必要な境内にて

 

 

 

 

 

 

2012 新里愛宕神社例祭

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遠野なんだり・かんだりと云いつつ看板に偽りありで

いつも、あればり、こればりで申し訳ありません。

今回も、あれです!

 

下組町の西はずれに愛宕神社例祭の幟

愛宕神社〜祭神伊邪那美命 天応元年(781)和気清麻呂が平安京鎮護の神として

愛当護大権現を勧請したのが基となり、後、愛宕大権現として諸国に広まる

日除けの神の他、塞の神・境の神として病疫除けとして、村の入口などに設ける

遠野物語拾遺64話には、この愛宕さんの話がとりあげられてる

 

24日の例祭の前日・・・・宵宮

下組町の真ん中にある建設会社の敷地に里宮として社が置かれ、

自治会の方々による出店やステージ発表で盛り上がる

 

残念ながら、郷土芸能の奉納は無いようで、雰囲気だけ味わい退散

 

例祭の日

 

宝暦12年(1762)に宇夫方広隆によって記された遠野旧事記には、次のようにある。

横田村(現在の遠野盆地中心部?)の愛宕は

遠野殿(八戸から南部氏が移封する前の統治者阿曽沼氏)時代の勧請

延宝2年(1674)大破していたお堂を修復

坂の石段は、正徳6年(1716)新町の両川覚兵衛の寄進

 

愛宕神社は、どういう訳か、いずれも急勾配となる山の上にある

 

息せき切って階段を上ると、次は坂道

この日は、草取りしている方々がいて、不安な思いをせずに登る

 

平らな境内では例祭の準備

 

遠野物語拾遺では、日除けとして六日町神明神社の大徳院という山伏が登場するが、

宝暦の頃、大徳院は熊野権現(どこにあったのか不明)と加茂神社(アクティ本店道路向かい)の別当で遠野の修験者の親分格の人物。

当時、その縁者は六日町神明神社とこの愛宕神社の別当として和光坊と名乗っており、遠野物語拾遺に集録される頃には、本家大徳院は遠野を離れており、和光坊系の方が後に大徳院を襲名したものと思う

 

後の大徳院が別当をしていた頃の元愛宕神社が隣接して祀られている境内

 

では、この立派な建物は?

 

明治の神仏分離令・山伏禁止令などにより、神と仏を一緒に祀ってはならぬということで

廃却か分離を迫られた時代

(この時代には神職による神楽禁止令もあったという)

ということで、この拝殿は、綾織町の胡四王権現社殿であったものだと聞く

(その胡四王は現在、同町の駒形神社に一緒に祀られている)

廃藩置県以降の町村制により、横田村から綾織村に編入になったことから、

同じ村のこちらへ移設したのかもしれない

 

その頃の建物事情を知る方

 

役員が揃ったところで、予定時間より早いが神事

綾織町出身で宮城の神社にお勤めだとお聞きした宮司さん

 

神仏分離令により、愛宕神社から新町にある常福寺へ移された延命菩薩像

享保時代、新町通りの常福寺側全てが敷地だったといわれる両川覚兵衛が奉納建立したもの

愛宕神社の境内に行くと、この菩薩様がどこにあったのだろうと思う私だが、

愛宕橋が見える石段中腹にある平らな部分では?と想像たくましくして退散

釜石かみなかしま DE 桜舞

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ラッキー! 

昨日のお昼前のこと、「書類ができたので取りに来るように」とのことで釜石へ

何がラッキーかというと、

その日の夕方から釜石市上中島で地域の夏祭りが行われるという情報を得ており、

あの桜舞太鼓も出演予定とのこと

梅雨明け宣言された新仙人道を一路釜石へ

 

こんな時に限ってスムーズに職務完了となり、かなり早くから会場入り

(中途半端な時間となり帰るに帰れず 笑)

例年以上のお客さんの入りだということだったが、本当に沢山の人にびっくり!

 

釜石のここ上中島の隣は中妻。決して中島では無い。

かつて、中妻は中島で、訛って中妻になったという話がある。

これと同じ話が遠野市青笹町にある。

青笹町の中妻は、やはり、かつては中島だったのが訛って中妻になったのだと。

 

町内の商店関係者を中心に様々な屋台を出しているひとつに

被災者・桜舞太鼓を支援するため手作りのミサンガ・ストラップを販売しているブースに

地元ケーブルTVが取材

(カメラマンさんには販売している方の手の荒れようを、しっかりカメラに収めて頂きたいと思った次第)

何も云わずとも、その手を見れば、手作りだと実感できるはず・・・・

(製作者さんは、さあ大変、ハンドクリームが使えなくなりそう・・・・)

 

日が暮れる頃には、皆さんの手にアルコール

 

幼稚園児の鼓笛ドリルやエアロビクス

昔のお嬢様たちによるハワイアンダンス

(残念ながら見惚れて画像が無い・・・・・)

さらには、エレクトーン演奏

 

そして、よつやバンドによるベンチャーズメドレー

と多彩なステージを堪能し、会場のアルコール度数が高くなったところで

大トリ、桜舞太鼓

 

現在、保管場所を失った彼らがお世話になっている上中島の皆さんへ感謝を込めて

 

心を込めた一打

 

紫波でのチャリティーコンサートでお会いし、気になっていた方にこの日再会

三十年も本郷桜舞太鼓を観てきた方だった

 

唐丹町本郷の祭りに手踊り太鼓として産声を上げたこの太鼓が、

どのような手踊り太鼓だったのかをお聞きする

 

私自身も、その手踊り太鼓というものに妙に興味を抱いていたので、説明に想像を膨らませる

 

創意工夫の中で現在の演目が生まれ、みんなに感動を与える響きとなったこの集団

 

原点ともいえる手踊り太鼓の踊りを虎舞の手踊りのように、

男踊りとした舞を加味した演目が生まれることを期待

 

演奏中に観客の中からメンバーの名前が叫ばれ、

彼らの地元釜石ならではの雰囲気に浸った、たった一人の遠野人と自己満足(笑)

 

さて、

これから短いながらも暑い夏となりますが、

 

遠野の蓮はこれからが見頃

 

熱中症にご注意下さい!

 

 

住田町で動く七夕を見る

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昨日は相方がお世話になっている住田町で夏祭り

相方・・・・・本職が漫才師というわけではないが、傍から見ればそう見えるらしい

と、ボケをかましといて

子供達が、まだ親の言うことを聞く頃は、一緒に来たが、今では、無反応

世田米到着時には、既に祭りが始まっており、保育園児の踊りに黒山の人盛り

 

続いて、有住(ありす)中学校のよさこいソーラン

 

そして、世田米中が続く

二校の踊りの間に両校のエールの交換があり、形容しがたいが、とても良い雰囲気

ここで、数十年ぶりに、高校の同級生に会う

テニス部のT木君だ・・・・・地元の中学校の先生として頑張っていた

 

中学校の踊りが終わると、通りに一台の山車

陸前高田のあの「うごく七夕」だ

(この日、どうしてもこれが見たくて世田米に来たのだ)

山車を曳く綱には、住田町の中学生と陸前高田の人たち

 

この笑顔が見たくて・・・・

 

うごく七夕が通りから抜けると下有住の外舘鹿踊り

行山流、1760年頃伝えられ、明治42年に中断し、昭和34年に復活

(例年の祭りであれば、この話題がメインとなるだろうが)

 

町内のきれいどころが一斉に踊る道中おどり

ここで、ハプニング、踊り開始とともに通りの片側が停電となり、しばし中断

(これもご愛嬌)

いつもより、短めに踊りが終わると

 

うごく七夕の夜の運行開始

 

多くの方々のいろいろな支援でこの夏まつりにお披露目

 

表情で気持ちが伝わる

 

高田の各町の名前が入った行灯にあかりがつく

 

高田各地域の祭り半纏がこの山車につながる

 

例年であれば、町内の何箇所かで菓子・餅まきが行われるのだが、

今年は、この山車の上から撒かれ、住田の心意気を感じる

 

保管場所に戻った一行は、8月6日、7日に本拠地陸前高田で開催される「うごく七夕」のPRをし、

三本でその場をしめた

 

気仙川では、恒例となっている五葉山火縄銃鉄砲隊の演武

 

この後、花火が打ち上げられ、住田町の夏祭りを後にする

 

となるはずだったが、演武が終わり、静かになった川沿いに太鼓の音

 

もしやと思い、通りに引き返すと、高田の人たちが山車に集まり、

名残惜しそうに、うごく七夕の囃子を見続けていた

 

この日を待っていたんだ!・・・・・

 

世田米の通りに飾られていた「あかり」・・・・名前はポランの広場

宮沢賢治の「ポランの広場」・・・・夏祭りの話

 

お話、そのものというより、あの「雨にも負けず・・・・」のメッセージを届けたくて・・・・・

と、私は受け取り、感動した夜となる

 

 

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