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Channel: 「遠野」なんだり・かんだり
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2018 節分

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昨日は朝起きてみて、びっくり!想像以上の雪でした。

自宅では玄関廻りと駐車スペースのみの雪かきとし、駅前私設案内所に移動し、さらに雪かき。

お陰様で、直後から筋肉痛です。笑

 

一休みする間もなく、遠野郷八幡宮へと出撃

 

モッサ、モサと降り続ける中での節分は、記憶にありません。

狛犬もゴジラのようになっていました。

 

何かに似ているなあと思いながら撮っていましたが、案内所に貼っていたポスター・・・氣志團 笑

 

正午、土曜日ということで、例年より多くの方々が集まり、豆撒き

 

今年は気合を入れて取った結果が、これ。

それでも、景品を貰えたのは初めてです。笑

 

帰り道

手前の男の子は泣きながら歩いていましたが、目当ての景品が手に入らなかったのかもしれません。

もしかして、清酒一升? 笑

 

ところで、

先日、NHKで日本人のおなまえ関連の番組があり、菊池・菊地さんを取り上げたようですが、

見るつもりだったのに、すっかり忘れていました。

再放送がないのかと気になっているところです。

菊池さんは異常なほど遠野に多い苗字ですが、九州の菊池から来たと云う話を耳にします。

南北朝時代に八戸南部氏同様に南朝方に組した九州の菊池武敏が、

南朝の北畠顕成と共に東北入りしたのが1340年代中頃で、

それが発端となり、菊池さんが広まったと云われています。

ですが、これについて、いつも疑問に思うことがあります。

 

上の写真は、熊野那智大社文書にある東北関連のものですが、

その中で、長禄5年(1461)2月3日の欄に、菊地之一族、出羽・奥州両国一円とあります。

他を観ると、奥州おいかわ(及川)の一族持分一円と云うものもあり、記述様式が異なっています。

及川の場合、一族の持ぶんの広範囲・おおよそと云う意味で、

菊地の場合は、出羽と奥州の広範囲にいる一族と解釈できそうです。

と、云う事は、東北に九州の菊池氏が入ってから、121年後には菊池一族が広範囲に居たことになり、

限られた交通手段しか無かった当時に、一族がそんなに広まるものなのか・・・と。

他愛のない疑問ですが・・・汗

 

 

 


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