昨日は朝起きてみて、びっくり!想像以上の雪でした。
自宅では玄関廻りと駐車スペースのみの雪かきとし、駅前私設案内所に移動し、さらに雪かき。
お陰様で、直後から筋肉痛です。笑
一休みする間もなく、遠野郷八幡宮へと出撃
モッサ、モサと降り続ける中での節分は、記憶にありません。
狛犬もゴジラのようになっていました。
何かに似ているなあと思いながら撮っていましたが、案内所に貼っていたポスター・・・氣志團 笑
正午、土曜日ということで、例年より多くの方々が集まり、豆撒き
今年は気合を入れて取った結果が、これ。
それでも、景品を貰えたのは初めてです。笑
帰り道
手前の男の子は泣きながら歩いていましたが、目当ての景品が手に入らなかったのかもしれません。
もしかして、清酒一升? 笑
ところで、
先日、NHKで日本人のおなまえ関連の番組があり、菊池・菊地さんを取り上げたようですが、
見るつもりだったのに、すっかり忘れていました。
再放送がないのかと気になっているところです。
菊池さんは異常なほど遠野に多い苗字ですが、九州の菊池から来たと云う話を耳にします。
南北朝時代に八戸南部氏同様に南朝方に組した九州の菊池武敏が、
南朝の北畠顕成と共に東北入りしたのが1340年代中頃で、
それが発端となり、菊池さんが広まったと云われています。
ですが、これについて、いつも疑問に思うことがあります。
上の写真は、熊野那智大社文書にある東北関連のものですが、
その中で、長禄5年(1461)2月3日の欄に、菊地之一族、出羽・奥州両国一円とあります。
他を観ると、奥州おいかわ(及川)の一族持分一円と云うものもあり、記述様式が異なっています。
及川の場合、一族の持ぶんの広範囲・おおよそと云う意味で、
菊地の場合は、出羽と奥州の広範囲にいる一族と解釈できそうです。
と、云う事は、東北に九州の菊池氏が入ってから、121年後には菊池一族が広範囲に居たことになり、
限られた交通手段しか無かった当時に、一族がそんなに広まるものなのか・・・と。
他愛のない疑問ですが・・・汗