26日(土)、27日(日)と青空が見えたと思ったら、昨日からまた曇り・雨。絶望的な8月です。
農業関係者の皆さんの心労をお察しいたします。
さて、天気の良かった土曜日に戻り、上宮守を後にして向かった先は、例年通りに小友町。
巌龍神社では既に地元の郷土芸能の奉納が始まっていました。
それでも、境内でお祭りを楽しんでいる企業へ門掛けをする団体を押さえ、
遠野通い人の茨城からお出での海東さんと盛岡のまっとさんと、しばし談笑。
同じように鷹鳥屋、外山両神楽の皆さんも世間話をしながら神事までの時間を過ごしていました。
午後1時、神輿渡御の始まりです。
先払いの神職を先頭に、猿田彦、役員、神楽、神輿、しし踊りと続きます。
不動橋を越えると、その後ろに小友町南部ばやし
後ろからは、お囃子の内ばやし
そして、子供みこし、婦人会の小友音頭、しし踊りが続き、通りのはずれにある上宿橋を渡り、
いつものように神輿還御となります。
余計な事ですが、今年の婦人会の平均年齢は昨年より若くなっていたように思います。笑
行列の鷹鳥屋神楽さん、子供たちもシンガクを踊りながらの参加
戸数の少ない集落の外山神楽さんは大人メインです。
小友町にあるしし踊り三団体は渡御の時は大勢いましたが、還御の時には其々半数ぐらいに減っており、
どうやら、町中を門掛けに廻ったようでした。
還御の行列が戻って来る間に、新遠野人となったむつご夫妻と話をしながら、出店のお好み焼きで腹ごしらえし、
還御後の長丁場に備えます。
ちなみに、一町でしし踊りが三団体残っているのは、ここ小友町と上郷町、附馬牛町だけになりました。
そうは云っても、しし踊りを残せば神楽が廃れ、またその逆も真なりで、
この日も長野神楽の話が出ましたが、長野地域では神楽が廃れ、しし踊りが残りました。
附馬牛町の張山しし踊り・小倉神楽さんのように両方演じるというのは、相当な努力の賜物と思います。
色彩空間遠野のksuzさんに倣って、まずは行列編でした!笑