嘉永7年(1854)著 三閉伊路程記 に、青笹周辺の様子として次のような記述がある
少し行きて堰田という処に一里塚 堰田 家三軒
此の処中沢川橋有り、別れ道ありて中沢の方へ行く道也 此の橋を高橋と言うとぞ
少し行きて橋あり、東の山下に糠前村見揺る 家九軒程有るとぞ
下堰 家17軒
五丁程行きて子橋を渡り、二丁程行きて 中下 家17軒
熊野社有り、きせい院と言う寺あり
ここに出てくる熊野社が 中下の熊野神社
まぬけ節の日がちょうど宵宮だったようだ
江戸時代に書かれた盛岡から釜石までの街道沿いの地図にも
先の熊野神社が記されている
神社の門前に小川が通っているが、その名残が現在も見て取れる
今では、河川跡といった感じだが、地目は川だったと記憶している
一度も例祭の様子を見ていない神社のひとつ
以上で、撮り貯め画像の部を終わります
これから、しばらくは、トンネルの向こう側へ頻繁に通うことになりそうなので、
あればり・こればり
は、しばらく、お休みかな? 笑
尚、高校の同級生の皆さんに告知です
お盆期間?の顔見せ会は、人数等の確認が困難な状況なので、
8月17日(金)午後6時前後から仲町、佐藤酒屋並びの「寿々」にて三々五々ということで
食物は、あまり準備していないので、お盆の残り物など、各自持ち込みがよろしいかと・・・