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Channel: 「遠野」なんだり・かんだり
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従弟来遠、そして、遠野太神楽

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9日(金)夕方、遠野の町に入ってくる車の量が増えたような・・・。

が、今現在は、いつものようにどこに人がいるのかと思うほど静かな遠野です。

 

その金曜日の晩、新しい家族を伴って、かなり久しぶりに父方の従弟が来遠。

お盆前にも関わらず、周辺にいる一族19名が集合です。

彼(橘氏)の家系は、遠野南部氏が八戸にいた時代から昭和まで、遠野にその苗字が残っていましたが、

平成の現在、電話帳には名前がありません。

また、彼の奥さんは元会津の人で、南部藩・会津藩共に敗れた官軍派、赤い糸が手繰り寄せたのかも。笑

 

翌日の昨日、その従弟家族とジンギスカン

 

暗くなる前に少しだけ乾杯!

従弟の男三人、共通点が見つかりました。岩手県人には珍しく、冷麺がそれほど好きではありません。汗

 

夜8時過ぎ、若干のアルコールとジンギスカンの匂いをさせながら遠野座へ

 

夜神楽公演のこの日は、神楽は神楽でも大神楽

遠野太神楽さんです。

 

あら 面白や ここはどこ  ここは高天原なれや 集まり給いし四方の神々

おかめ四方の舞です。

寛永4年(1627)八戸から根城南部氏(後の遠野南部氏)が移封となった頃、同じく遠野に移ってきた

てんや与平治が発端として受け継がれている太神楽。

天明8年(1788)には一日市の傳兵衛が先年に上方筋で獅子舞の免許皆伝を得て

玉川傳太夫という名前を貰い、帯刀にて太神楽に付き添うことを許されます。

 

うさぎ舞い

寛政3年(1791)一日市の笠上金作に申付け、町方の若者たちに太神楽の稽古をさせますが、

遊芸の事なので若者たちのためにならないということで、裏町の店屋与平治(何代目かの)に申付け、

盛岡・花巻の店屋たちが来て勤め、大変良かったと記録にあります。

その後の安政3年(1856)、鍵町瑞応院門前の神道佐々木大和守が祭礼に太神楽奉納の願いを出し、許されます。

遠野古事記には、てんやは俗体の祢宜・神主の類で、仙台領では吉田様(吉田神道?)に認めてもらい、

何々守と称しているとあり、佐々木大和守も同様ではなかったのかと推察します。

 

万歳

文化年間(1800年代初頭)、盛岡では七軒丁が藩の依頼にて江戸ではやりの万歳等を習得し、

その後、藩内でも流行ったとあることから、遠野太神楽の万歳もこの頃に伝えられたと思われます。

 

時は明治となり、裏町の佐々木徳太郎氏宅で鶴田せん助、まんべいばさま、細越が指導を受け、

大工町の若者たちに伝えたのが現在の遠野太神楽となります。

 

以前は鳴り物として、大太鼓、小太鼓、笛、三味線、鼓、手平鉦があったようですが、

現在は三味線、手平鉦が無くなっています。

 

町方の芸能としての、この太神楽と南部ばやしのお囃子が聞こえると今年もまつりが始まった

と感じる人が多い遠野まつりは、9月15日が遠野郷八幡宮で神事と役(獅子・神楽)奉納があり、

21日(土)が御神輿渡御と町中での芸能共演会、22日(日)は八幡宮で流鏑馬、芸能パレードです。

とは云え、今月は13日(火)が宮守めがね橋夜まつり、15日(木)納涼花火まつり、

16日(金)土淵町光岸寺と附馬牛町德昌寺の舟っこ流し、17日(土)遠野座夜神楽

18日(日)土淵まつり、24日(土)上宮守愛宕神社例祭、小友まつり、附馬牛町菅原神社例祭

その他も含め、9月末まではイベントラッシュの遠野です。

 

さて、告知です。

葬祭幹事長からは17日(土)午後6時頃から仲町の同級生ママの店で、プチ同級会開催の連絡が入っています。

また、同じ日になりますが、

山猫さん迎撃遠野ブロガーとその仲間たちの飲み会の予定です。

時間は同じ頃だと思いますが、場所はその内にということのようです。

万障繰り合わせの上、参加頂きますように! 笑

 

しかし、盆休み突入直前だというのに本業のやり残しが山積み・・・気力がありません。汗

 


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