梅雨の合間の7月第一日曜日、山谷観音、八幡さんに奉納し、そして、直会の席で披露した山谷獅子踊りの皆さん、
一息つく間もなく、地域内を門掛けに出かけます。
今年は山谷観音から奥の地域が割り当てになっているようでした。
対象になるのは20軒ぐらいとのことで、短めに全員で踊った後に投げ草をし、先を急ぎます。
東西に流れる藤倉川沿いの道に沿って、ぽつり、ぽつりと家があり、
時には車に乗り、時には駆け足で、上流へ
付いて歩きながら、風景を楽しむ笛吹です。笑
沢水が豊富な地域のようで、庭先にはご覧のような洗い場のある家が多く、
この子はしし踊りより、水遊びに夢中でした。
この子、どこかで見たことがあるような・・・外山神楽の子に似ているような・・・
同じ小友町だから似ているのかも・・・などと思いながら、観音堂からここまで来たのですが、
しし踊りの扇子を持っては天女舞のようなしぐさをしたり、太鼓を叩いては神楽風だったり、
と云う事で、やはり、外山神楽の子でした!
小友町内のしし踊りは、駒木鹿子踊りと同じく、御花を頂くと「投げ草」を踊ります。
遠野の他のしし踊りでも、投げ草と呼んだりしますが、基本は「花誉め」の踊りで、明確に異なります。
投げ草を出した人は、いかなる長者かと、誉めあげ、深々と御礼をします。
これを見せられると、出した人も云い気分になること間違い無しです。笑
この日、一緒に廻った家では、別格に大きな家
曲り家を上手にリフォームしています。
内外共、太い梁や曲った梁を、それなりに見せています。
この家の女主人、知っている人でした!笑
その方の娘さんもお孫さんも、このしし踊りに参加していることを初めて知りました。
しし踊り関係者のお宅ということで、少しだけ休憩
私も飲物を頂き、感謝です。
もうひと踏ん張り
大きな家の上に、レンガ貼りの建物がひとつ。以前は住宅があったようです。
この小さな集落でも、空家がちらほらあるのが確認できました。
またまた知り合いの家
この辺りまで来たのは30年ぶりぐらいでしょうか。
途中、留守にしていた家はあったものの、最奥部のお宅に到着。
門掛け中に、幟を持ったり、御花を預かったりしていた方の家でした。
二年前の山谷観音まつりの境内で、カメラを持ったご夫婦がいて、共通語で会話していたのを聞き、
どちらからお出でですか?と訊ねると、地元です。と応えられた方です。
あの時は、山谷に移ってこられたばかりだったようですが、髭も立派になり、今ではすっかり地元人。
関東で生まれ育ち、第二の人生を福島県の飯舘村で過ごそうとしていた矢先に、あの震災。
その後、縁あって遠野に移ってきたとのことです。
二年前に会話したことを覚えて頂いていただけでも、感激する笛吹です。笑
ところで、
このお宅では投げ草の次に「しょうじ」をやるべ!という声が聞こえました。
投げ草に似たような所作で踊りましたが、気になって確認したところ、明確な応えが得られず。
帰って、市内の他団体の演目等も確認しましたが、不明です。
「しょうじ」って何なんでしょう?